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日々の雑感 301:
『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を観て(2)

『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を観て(1)

2013年10月1日(火)

【第3回 原爆投下】

 オリバー・ストーンは、原爆がなぜ日本に投下されたのかという問いの答えの1つとして、当時のアメリカ国内の空気、“日本人”への憎悪、敵意、蔑視を挙げ、それを象徴するいくつかの実例を列挙する。

 その原因として、オリバー・ストーンはアメリカの人種的な偏見もあったが、何よりも大きな原因は真珠湾奇襲攻撃だったと語っている。日本では「真珠湾攻撃」は、「欧米の経済封鎖によって追い詰められた日本が大国アメリカと戦いを挑まざるえない状況で、名将、山本五十六・連合艦隊司令長官が編み出した、太平洋戦争で最も成功した作戦」と描かれがちだ。しかしそれがアメリカ国民の日本人への憎悪と敵意をかき立て、結果的には日本への原爆投下を容認し称賛する空気をアメリカ国内に生み出したことを、私たち日本人は知らされていないのだ。

 またオリバー・ストーンは、「アメリカ人の85%が原爆が戦争を終わらせた」というアメリカ現代史の「常識」に真っ向から立ち向かう。
 太平洋戦争末期、すでに日本は力尽き、敗戦はもう時間の問題となっていた。実際、1945年2月に、元首相の近衛文麿が天皇に文書で、「残念ながら、日本の敗戦は明らかになり」と伝え、5月には日本の戦争最高会議で、ソ連に和平の仲介、つまりアメリカから有利な降伏条件を引き出す道を模索していた。日本側が最後までこだわったのは「国体の維持」つまり「天皇の存続」だった。日本の通信を傍受していたアメリカの情報機関から報告を受けていたアメリカの指導者たちは、その日本側の本音を十分知っていた。
 番組の中でも「トルーマンは、これを『和平を求める天皇からの電報』とみなした。フォレスタル海軍長官は『戦争終結を願う何よりの証拠だ』と主張し、スチムソン陸軍長官も『和平に向けた動きだ』と評した。彼らはみな、日本の終わりが近いことを知っていた。トルーマンの側近の中には、無条件降伏を緩和し、日本側に天皇を存続できるというシグナルを送り速やかに戦争を終結させるようにうながす者もいた」とオリバー・ストーンは語っている。

 しかしトルーマンは、「(日本が降伏を受け入れやすくするため)天皇に関する保証を日本に与えるように」という陸軍長官の進言を無視し続けた。その理由は、日本に原爆を投下して、その威力をソ連に誇示し、その影響力を弱めるには「戦争中」でなければならなかったからだ。
 トルーマンは原爆の威力をソ連に誇るために、スターリンとのポツダム会談前に原爆実験を成功させようと2週間、会談を延期している。そして彼の期待通りに実験が成功した後、トルーマンはスターリンとの会談に臨む。その時のトルーマンの様子を会談に同席したチャーチルがこう証言している。
 「彼はまるで別人のようだった。ソ連側にあれこれ指図し、会談全体を独りで仕切っていた」
 しかしスターリンはすでに原爆の情報を知っていた。「スターリンはうなずき、『ありがとう』とつぶやき、無関心に見えた」(英外相)。スターリンは「アメリカがすばやく戦争を終わらせて、ヤルタ会談で約束された(ソ連に対する)約束を反故にするつもりだ」と確信したという。

 一方、日本側が無条件降伏に応じたのは、原爆投下のせいだったのか。オリバー・ストーンはそれも否定する。番組の中で彼はこう解説している。
 「日本の指導部は、爆撃機200機が数千発の爆弾を落とすのも、爆撃機1機が原爆を落とすのも大差はないと感じていた。彼らにとってショックだったのはソ連軍の満州への侵攻だった。ソ連軍が簡単に満州を制圧したという知らせはさらに日本に危機感を募らせた。アメリカの陸軍省が秘密裏に行った研究の結果にはこうある。日本の要人から原爆投下についての言及はほとんどなかった。結局、原爆投下は戦争終結の口実に過ぎない。ソ連の参戦で日本が降伏したのはほぼ間違いない

 トルーマン自身も、そのことを十分に認識していた。彼は「ソ連が参戦したらジャップが一巻の終わりだ」と語り、また連合軍の情報機関も「ソ連が参戦したら、日本も完全な敗北は避けられないと確信するだろう」と報告していた。
 だからトルーマンは、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言で、ソ連を署名国に加えることを拒否した。スターリンが署名すれば、ソ連の対日参戦が近いというシグナルを日本に送り、日本の無条件降伏が早まり、原爆を日本に投下する機会を逃してしまうからだ。オリバー・ストーンは「これはアメリカの途方もなく陰険な企みだった」と表現している。

 トルーマンは原爆投下を「若いアメリカ兵の命を救うため」と大義名分で正当化した。テレビ・インタビューの中で、著名なジャーナリスト、エドワード・マローの「原爆が投下されたとき、戦争は終わりに近かったはずです。日本の潜在能力を読み違えたのでしょうか?」という質問にトルーマンはこう答えている。
 「アメリカ軍は日本領土に侵攻する可能性があった。上陸作戦には150万規模の兵力が必要になるが、そのうち25万人が戦死すると推定された。だから強力な新兵器を使うことに何の良心の呵責も覚えなかった。兵器は破壊的なものだ。だから、みんな戦争に反対する。だが効果的な兵器を使わないのは愚かだ」

 そのトルーマンの言う犠牲者数は年々増え続けていく。1945年8月には「数千人」、1945年12月には「若いアメリカ兵士25万人の命は日本の都市2つ分に値する」と語っている。さらに1953年1月には「日米の死傷者100万人」、1959年4月には「原爆が数百万人の命を救った」と変化していくのだ。一方、1991年には、ブッシュ大統領(父)は「トルーマンの決断は何百万人ものアメリカ人の命を救った
と賞賛している。
 だが、陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルは、1945年6月、「米軍の日本本土侵攻でどのくらいの犠牲者が出るか」と意見を求められ、「3万1千人を超えることはない」と報告していることを、オリバー・ストーンは紹介している。

 ではトルーマンが原爆投下の決定を下した真の理由は何だったのか。原爆を使用しないようにトルーマンに警告しようとしたが、大統領の腹心バーンズ国務長官に阻まれた物理学者レオ・シラードはこう語っている。
 「バーンズ氏は、日本は事実上すでに敗北していると見ていた。彼は原爆の威力を誇示することで、ソ連の影響力を弱めようと考えていた」
 またマンハッタン計画の指揮官レズリー・グローブスも「ソビエトが敵国だった」と認め、「マンハッタン計画の指揮官になって2週間経った頃から、ソ連が我われの敵であるという考えに基づいてプロジェクトを進めていった」と証言している。
 そして「31万8千人の日本人を殺害した」原爆投下に、「歓声の声を上げていた」トルーマンは、現在では「偉大な大統領」と評価され、共和党・民主党を問わず尊敬されているというのだ。
 そのトルーマンという人物、その原爆投下という決断に、オリバー・ストーンは番組の中でこう裁断を下している。
 「実際のトルーマンは、マッカローが描く英雄的な小心者よりも、邪悪な人間です。本人が否定しようとも、日本への原爆投下を決断したことは、ソ連に対して冷酷かつ挑戦的な決意をしたことでもありました。つまりソ連がヨーロッパやアジアで干渉を続けるならば、アメリカは人道的な配慮なく、ソ連にも原爆を使用するというものです。さらに倫理的な観点から言えば、トルーマンは地球上の生命を絶滅しうるプロセスに手を染めたことにもなります。無差別に、かつ不必要に人々を殺すことは戦争犯罪です。人類滅亡に導く行為は、それをはるかに超える重い罪なのです。

 私が【第3回 原爆投下】の要約に、これほどのページを費やしたのは、これが単に「アメリカ史」ではなく、「日本の現代史」そのものであり、私たち自身の問題であるからだ。私自身、長年、広島で暮らした体験がある。被爆者たちも間近で見てきたし、その「平和運動」の一端も目撃してきた。「ヒロシマ」に象徴される「平和」の意味について思いを巡らしてもきた。
 この【第3回 原爆投下】によって、私たち日本人はオリバー・ストーンからこう問いかけられているのではないか。
 「私は原爆を投下したアメリカの1国民として、持てる力を尽くして、アメリカ側の原爆投下の事情、背景を映像で描いて提示した。さあ、今度はもう一方の当事者であるあなた方日本人が、この“ボール”を受け取って、原爆投下に関わる歴史の事実を解明してほしい」と。
 当時、日本側が、国体つまり天皇を頂点とする国家体制の維持に固守することよりも国民の生命と安全を優先し、ポツダム宣言の「無条件降伏」を1945年春の段階で受諾していれば、オキナワも、ヒロシマ・ナガサキもなく、何十万、何百万という国民の生命が救われたはずだった。なぜ日本はそれができなかったのか。いったい誰がその決断を引き延ばしたのか。
 原爆投下から30年後の1975年10月、昭和天皇は公式記者会見でこう語っている。
 「原子爆弾が投下されたこと対しては、遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒ではあるが、やむを得ないことと私は思っています」(動画:1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」
 戦争遂行の最高責任者だった天皇のこの言葉に、広島・長崎そして全国の国民はどう反応したのか。大きな批判と怒りの声は起こったのだろうか。もし起こらなかったとすれば、なぜなのか。一方、日本のジャーナリズムは、これにどういう反応を示したのか。糾弾したのか。それとも黙認したのか。当時、私は広島にいたが、大きな抗議行動が起こったという記憶はないし、マスメディアの間で大きな議論が湧き起ったという記憶もない。

 今年オリバー・ストーンが広島・長崎、そして沖縄を訪問したとき、日本のメディアはこぞってオリバー・ストーンの周りに群がって付きまとい、彼の「ヒロシマ・ナガサキ」観、「オキナワ」観を伺い、伝えることを競う報道合戦を繰り広げた。
 しかしオリバー・ストーンが、真に望んでいるのはそういうことだろうか。日本人が自らの問題である「ヒロシマ・ナガサキ」、「オキナワ」を世界的に名の知れた映画監督の視点を借りて伝えることに熱心な日本のジャーナリズムに、彼はこう問いたかったのではないか。
 「原爆投下について私が日本側に投げた“ボール”を、日本のジャーナリズムはきちんと受け止め、私がアメリカでやったように、自分たちの力で解明してほしい」と。つまり上記したような原爆投下に関する日本側の根源的な問題を、私たち日本人自らが解明していくことだ。
 そのことは単に、過去の歴史の解明に終わらないはずだ。あれほどの被害をもたらした原発事故も、100人を超える犠牲者を出したJR西日本の列車事故も、誰ひとり個人の責任が問われない、つまり責任の所在を追及しない日本社会の歪(いびつ)な体質の根源を探ることにもなるはずだからだ。

 オリバー・ストーンが原爆投下に関するアメリカの責任所在を明確に立証し、その責任者たちを固有名詞できちんと伝えたこのドキュメンタリー【第3回 原爆投下】に私たちは驚嘆し称賛するばかりでいいのか。このドキュメンタリーは私たち日本人がやるべき“宿題”を突き付けているのではないか。

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