Webコラム

日々の雑感 317:
2つの大事件と欧米メディアの伝え方
──ガザ攻撃とマレーシア航空機撃墜事件

2014年7月22日(火)

 イスラエル軍の地上侵攻が始まって4日目の7月21日、ガザ地区の人権活動家ラジ・スラーニ氏の安否を確かめるため、彼と私のスカイプでの通話時間となっている現時時間の午前9時(日本時間午後3時)に彼を呼び出した。しかしまったく応答がない。パソコンが立ち上がっていないようだ。停電なのかもしれない。いや、こんな緊急事態の中、ガザ市内の海岸に近く攻撃を受けやすい地区に位置する事務所に出てくることもできないのかもしれないと、今度は彼の携帯電話にかけえてみた。1回目はまったく呼び出し音が聞こえない。2日目やっとラジが電話に出た。
 「大丈夫ですか。事務所の電気は? 食料は足りている?」「電気は来ている。しかし状況は熾烈で困難な(tough)な状況だ」とラジは答え、「30分後に電話をかけなおしてくれ」と電話を切った。しかし30分経っても、彼の電話は切れたままの状態だった。ラジが率いる「パレスチナ人権センター(PCHR)」のスタッフたちはこの緊急事態の情報収集のためにガザ中を駆け回っているにちがいない。

 この3日前の7月18日早朝、いつもの通り、起きるとすぐガザの最新状況を知るためにBBC放送にチャンネルを合わせた。だが真っ先に飛び込んできたのは、ウクライナ東部で298人の乗客を乗せたマレーシア航空機がミサイルで撃墜された事件だった。そのニュースが一段落した後に流れてきたのが「イスラエル軍がガザ地区に地上侵攻を開始」のニュースである。「ああマレーシア航空機撃墜事件で、ガザ報道が隠れてしまうな」と思った。果たして、それから数日過ぎパレスチナ人の犠牲者が500人を超えた今もトップニュースは「マレーシア航空撃墜」で、ガザ情勢は「二番目のニュース」だ。


(BBC・ガザ最前線の記者)

(BBC・ガザ、負傷し治療を受ける子ども)

 海外の重大ニュースを国内で追おうとしたら、日本のテレビ局や新聞ではあまりにも情報量が少なく、しかも表層的なため、どうしても海外のメディアに頼らざるをえない。しばらく停止していたスカパーのBBCとCNNニュースを再開したのは、7月初旬、ガザ攻撃が始まった直後だった。BBCは空爆と砲撃の中、ガザからジャーナリストたちがライブで映像を送ってくる。イスラエル軍の地上侵攻後はいっそう危険が増したため、日本のメディアの特派員たちの多くはガザから退避した。特派員自身は現場に残り、まさにそのガザの危機的な状況を伝え続けたいと願ったに違いない。現場を取材するジャーナリストなら大概そう思うはずだ。しかし(全部ではないだろうが)大半の大手メディアの本社の上司たちは万が一、特派員が負傷・死亡したら、自分や会社が責任を取らされることと恐れ、「人命第一」の名目で特派員たちに現場から退却させる。「安全な支局で、現地の通信員からの報告や現地に残る外国メディアの情報、またはイスラエル国内のメディア情報、彼らから買える資料映像を元にニュース番組や記事は作ればいい。日本の視聴者や読者は海外ニュースには関心も薄く、それ以上の情報は期待していないから、それで十分だ」という判断なのかもしれない。どんなに危険が迫ろうと、現場から離れず情報を発信し続けるBBC、CNNなど欧米メディアと日本メディアとでは所詮、“ジャーナリズム”への“覚悟”と“使命感”が根本的に違うのだということを、こういう時に改めて痛感させられる。


(BBC・戦死したイスラエル兵の葬儀)

(CNN・ハマスのロケット弾の攻撃)

 そんなBBCも今回は、イスラエル側とパレスチナ側のバランスを取ることに留意しずきたのか、「殺す側」と「殺される側」の主張を平等に両論併記しようと努力しているのが気になった。案の定、欧米では「殺す側」の主張が多すぎるとBBCに対する批判の声が高まった。しかしそんなBBCもCNNと比べたら、まだいい。CNN報道は「イスラエルは自衛する権利がある」とイスラエルによる空爆と地上侵攻を正当化するアメリカ政府に寄り添い過ぎているように私の眼には映る。それはアメリカ国民の世論でもあるのだろう。でもそのようなイスラエル寄りの世論を作るのはメディアだ。だからその起源を追求すれば「鶏が先か卵が先か」の議論になってしまう。背後にはやはりアメリカ国内のメディアに影響力を持つ「イスラエル・ロビー」の影も見え隠れする。

 時期が重なってしまった2つの国際的な事件の欧米の報道の仕方を見比べて、気づいたことがある。そのニュースの順序と量の違い、さらにその伝え方である。
 「マレーシア航空機撃墜事件」では、BBCはその犠牲者個々人の経歴や家庭環境、さらに遺族の声まで紹介し、等身大で詳細に伝えた。一方、ガザ攻撃の犠牲者たちは、「ガザ住民」とマスで伝えられ、その死は“数”で伝えられる。だから視聴者にはその“死の重さ” “死の痛み”が「マレーシア航空機撃墜事件」の場合ほどには深く重く伝わってはこない。
なぜこう伝え方が違うのか。
 第一には、後者がイスラエル・パレスチナという中東のローカルな問題(実際はこれが他の中東全地域に波及しかねない深刻な国際問題なのだが)だとみなさる一方、後者はロシアと欧米諸国の関係悪化に拍車をかけ、かつての冷戦状態に戻ってしまいかねないグローバルな大問題だという、「問題の重大さ」に対する見方の違いがあるのかもしれない。
 しかし私はこの報道の違いの根底には欧米社会の根強い“誤解”と“偏見”もあるように思う。
 一つは「前者はウクライナ問題に全く関係のない外国の一般市民がまったく理不尽に殺害され、誰が見ても「被害者」「加害者」は明白だが、後者は「ハマスのテロに対するイスラエルの『正当な』報復」というふうに、「暴力の応酬、悪循環」といった見方がされる。一方、「ハマスのテロ」の前提に数十年も続くイスラエルの“占領”があることを伝えるニュースはほとんどない。今回の事態も、3人のイスラエル人の誘拐・殺害から、またはハマスのロケット弾攻撃から始まっているような報道ばかりだ。だからハマスが停戦条件としてあげる「ガザ封鎖の解除」が途方もなく非現実的で、理不尽な要求のように国際社会は捉えてしまう。
 もう一つは、欧米メディアの中の根深い欧米優位意識、欧米中心主義の匂いだ。「マレーシア航空機撃墜事件」の犠牲者の多くがオランダ人を中心とした欧米人だった。一方、ガザ攻撃の犠牲者は欧米人ではないアラブ・パレスチナ人である。もし「マレーシア航空機撃墜事件」の乗客の大半がマレーシア人などアジア人だったら、BBCやCNNは同じような報道の仕方をしただろうか。
 今回のBBCやCNNなど欧米の代表的なテレビメディアの報道は、彼らがどういうスタンスに立つのか、何を最優先するのかを知るいい機会となった。もちろん日本の今回のメディア報道は質量とも欧米メディアとは比べようもないほど薄く低い。しかし一旦、中東情勢が悪化し日本への石油輸入が困難になるとき、または将来、「集団的自衛権」の行使で中東に派遣される自衛隊員に死傷者が出るときには、日本のメディア報道の質も量も変わってくるだろう。要するに、大概の日本人は、自分自身に不自由や危険が降りかかってこない「遠い問題」には関心が薄く(3・11以後、その傾向はいっそう強まったように思う)、メディアはその国民の内向きの意識と空気を読み取り、それを変えていこうとする気概もなく、ただ追随してしまっているように見えてならないのである。

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp