Webコラム

ガザからの報告(2014年夏)
(19)ガザ住民の「戦争」観・「ハマス」観(1)

2014年8月28日(木)


(写真:フザー村の破壊跡)

 ガザに入って、実際、住民の声を聞いて回るまで、私はガザ地区住民の心情をこう想像していた。
 「ハマスなど武装勢力が、ほとんど効果のないカッサム・ロケット弾をイスラエルに対して撃つ込むことで、イスラエル軍にガザ住民への激しい砲爆撃の口実を与えている。そのために多くの住民が殺され、負傷し、住居を破壊されて避難民となってしまった。イスラエルに対する住民の怒りは当然だろうが、同時にイスラエル軍に攻撃の口実を与えてしまっているハマスなど武装勢力に対しても、『お前たちのせいで、私は家族を失い、家を失った』という怒りと反発が渦巻いているにちがいない。しかし住民はハマスの報復を恐れ、外国人ジャーナリストにはなかなかその本音をさらけ出せないだろう」

 だから、それを引き出すことが、今回の取材でいちばん重要で、最も困難な作業になるだろうと予想していた。
 2009年1月、最初のガザ攻撃直後の現地取材の体験から、その取材において外国人ジャーナリストが注意しなければならないことが主に2つあることがわかった。
 まず真っ先にカメラを向けて聞かないこと。ハマスが強力な警察権力で実効支配するガザでは、住民は報復を恐れてなかなか表立ってハマスを非難しにくいと多くの住民から聞いていた。だから、ハマスに批判的な自分の意見が公に知られることを住民は恐れる。だからカメラの前ではなかなか本音は出せない。この微妙な質問をするとき、私はまずカメラのスイッチを切る。そして「ところで……」と話を切り出していく。それでも外国人ジャーナリストに対する警戒心を解こうとしない住民もいる。そういう人に対して、私は質問に入る前に、自分のこれまでの長いガザやパレスチナとの関わりを語り、なぜそういう質問をするのかをできるだけ丁寧に説明する。
 住民が心情を吐露し終わると、私は「今の言葉をカメラの前でもう一度語ってもらえませんか」と訊く。すると大概、相手は私の要請を受け入れてくれる。もちろん「いや、カメラの前では」と固辞する人もいる。これまで数十人のインタビューの中で、カメラでの取材を断った人は3人いた。いずれもハマスの対して怒りを抱いている人だった。
 ただこの微妙な問題の取材を重ねていくうちに、「この人は最初からカメラを回しても大丈夫か否か」の判断が勘でできるようになる。それで、カメラを向けながら、まず質問をしてみる。相手の表情や語りのトーンが変わったら、カメラのスイッチを切る。同じ調子で語り続けたら、そのままカメラを回し続ける。

 もう1つ、この問題の取材で注意しなければならないことは、この質問をぶつけるとき、他の住民のいない場所を選ぶことだ。衆人が注目する中では、語り手は本音を出しにくく建前の意見で済ましてしまう可能性がある。ただ密室となる場所を、とりわけ避難所のような所で探すのは難しい。それでも家族だけのプライベートな場所(といっても隣とは布や机などで仕切られているだけの場合が多いが)を選び、できるだけ他人が観ていない場所でインタビューすることに留意した。

 これから数回にわたって、そのようにして住民から聞き出した「ハマス」観、「戦争」<ガザ住民は今回の事態を「ハルブ」(アラビア語の「戦争」)と呼ぶ>観を紹介していく。
 その反応は大きく2つに分かれた。1つは、「イスラエルに対し怒りを抱くが、ハマスの武装闘争は支持する」という反応。それが圧倒的に多かった。2つ目は「イスラエルとハマスの双方に激しい怒りを抱く」というは声だ。これは予想よりはるかに少なかった。ただ両者に共通していることは、「イスラエルに対する煮えたぎるような怒り」である。「イスラエルはハマスを標的にしているのではなく、一般住民を狙っている。『ハマスが標的』というのは、単なる口実だ」という意識も共通している。それはシャジャイーヤ地区やフザー村の虐殺・破壊現場に象徴されるようなイスラエル軍による無残な攻撃跡を目にすれば、誰もが感じることである。その「イスラエルへの激しい怒り」が、住民が抱いているだろう「ハマスのやり方への疑問や怒り」の感情を圧倒し、見えにくくしているように私には思える。

【事例・1】
ナーフェズ・カーセム(50)/農業/ベイトハヌーン

 ガザ地区北部で最も破壊が激しかったベイトハヌーン町で、破壊された家の前に張られたテントがあった。中でお茶を飲んでいたナーフェズ・カーセムとその兄弟に話を聞いた。ナーフェズが自分の家が破壊された経緯をこう語る。

 「イスラエル軍の地上侵攻の最初の日7月17日の午前7時ごろでした。その日のラマダン(断食)が始まる前に1階の客間で断食前の朝食を済ませ、子供たちを居間に連れていって寝かせました。あの時客間に残っていたら、全員が死んでいたでしょう。幸運でした。
 突然、家とその周辺への攻撃が始まりました。無人偵察・爆撃機『ドローン』か、ミサイルか、戦車からの砲撃かはっきりしませんでした。私は子供たちを連れてすぐに家から飛び出して逃れました」

 「イスラエル軍からの警告の電話はまったくありませんでした。しかしその直前にビラで、『ベイトハヌーンの住民はガザ市内に避難するように』とイスラエル軍が警告していました。2008年にも同じ手法を使いましたが、あの時は「家の中に留まるように」という警告でした。私たちは家に留まるつもりでしたが、砲撃がひじょうに激しくなり、自分の家が標的になり始めたから、子供を連れて逃げるしかなかったんです。家は3階建で、3階には弟の家族が住んでいました。全員で25人の家族でした」

 「家を逃れてからベイトハヌーンのUNRWA学校へ避難しました。しかしイスラエル軍は住民が何千人も避難していたUNRWA学校を攻撃し、住民が10人殺され150人が負傷しました」

 「休戦になってから戻ってくると、家は破壊されていました。でも失ったのは家だけではありません。農業を続けるために欠かせない4台のトラクターも完全に破壊されてしまいました。生活の基盤を失ったんです。隣は弟の家です。7人の家族でした。それもご覧のように破壊されました」

 「これまで全ての金を、土地を買い家を建てるために費やしてきました。この家を建てるのに20万ドルを費やしてきました。それをこれからどうやって家を再建できるでしょうか。トラクターも破壊され農業で生活の糧を得る道を奪われました。50歳になって、今後、何ができるでしょうか。再び人生を始めるほど私は若くはないんです。私の人生は終わったという気がします」

「戦争」観・ハマス観

 「ガザ住民全体がハマス支持なのではありません。しかしイスラエルはガザ住民を攻撃し、インフラを破壊し、住民の生活の糧の源を破壊しました。一方、ハマスはまったく痛手を受けてはいません。イスラエルはハマス自体にダメージを与えているわけではない。これは住民に対する『戦争』であり、ハマスに対する『戦争』ではないんです」

 「この『戦争』でハマスの人気は上がるでしょう。民衆はイスラエルを激しく憎んでいるから、イスラエルに対して武力で抵抗していくことは正しいことだと考えています。武装闘争はそのイスラエルへの怒りの表出だと捉えているのです。だからハマスの人気は上がります」

 「イスラエルがこの『戦争』を始めたんです。ハマスのロケット弾攻撃はそれに対する反撃です。イスラエルの抑圧に対する合法的で正しい反撃です」

Q・ならば、その結果である自分の家の破壊を受け入れることができますか?

 「もちろん自分に起こったことを受け入れることはできません。イスラエル軍のこの大規模な破壊は、住民への“集団懲罰”です」

【カメル・カーセム(58)/兄】

 「ハマスはパレスチナ人の一部です。パレスチナ人はいつでもイスラエルに対するレジスタンス(武装闘争)を支持します」


(写真:ナーフェズ・カーセムの破壊された家とトラクター)

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp