Webコラム

日々の雑感 327:
「テロ」とは何か

2015年1月17日(土)


(写真:ガザ市シャジャイーヤ地区/2014年夏)

 1月11日、パリの広大な「共和国広場」が何十万という群集で埋め尽くされた映像に、新聞社襲撃事件など連続テロ事件がフランス社会に及ぼした衝撃の大きさを改めて実感させられた。AFP通信によると、フランス全体で370万人、パリだけでも120万人を超える市民が連続テロに抗議する大行進に参加し、第二次世界大戦でのパリ解放(1944年)以来の規模だという。パリの大行進にはオランド仏大統領をはじめ、独メルケル、英キャメロン両首相の他にも、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長(大統領)など56の国・地域・国際機関の代表が参加した。
 「テロに屈せず、表現の自由を、多様な社会を守ろう」というのがこの大行進に参加した人々の共通の思いである。
 この「テロ」という言葉は、新聞社襲撃事件以後、メディアに頻繁に登場する。「いったい“テロ”とは何なんだろう」と改めて気になった。
 広辞苑では「政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為」と簡単に定義している。もっと詳細な定義が知りたくて調べてみると、いくつか見つかった。まず国際法ではこうだ。
 「あらゆる文民に対して、あるいは武力紛争状態において戦闘行為に直接参加していないあらゆる人に対して、死又は重大な身体的損傷を引き起こすことを目的とした(中略)いかなる行為も、その行為が、その性質又は状況に照らして、住民を威嚇し、又は政府若しくは国際機関に行為若しくは不作為を強制することを目的とする」
 また2001年9月11日同時多発事件の発生した13日後、ブッシュ大統領(当時)が大統領命令の中で「テロリズム」をこう定義付けしている。
「( 頬塾蝋坩戞∨瑤録楊拭∈盪瑳磴靴は施設にとって危険な行為を含む。
 (◆房,里い困譴を意図することが明らかに認められる場合
 (A)民間人を脅迫し、又は威圧すること
 (C)大量破壊、暗殺、誘拐又は人質行為を行うことにより政府の行動に影響を与えること
 (清水隆雄「テロリズムの定義─国際犯罪化への試み─」参照)
 いくつかの「テロ」の定義の中で、一番わかりやすく納得できたのはウィキペディアの説明である。
「テロリズムは『周知されることで恐怖心を呼び起こすもの』である。この点において狭義の意味での暗殺とは異なる。直接の攻撃対象以外である大衆を操作・支配する目的で無差別に、あるいは象徴的な人物を攻撃する手段は、強い道徳的・倫理的非難の対象となる。そのため、『テロリズム』という言葉の持つ、強い反道徳性・反倫理性を活用するかたちで、『自らとは異なる立場に立つ者のアピールや実力行使』に対して、『それはテロリズムである』というレッテル(ラベル)を貼るという方法で、非難を行うという方法論・戦術がある(プロパガンダ)。この非難の対象とされるものには、しばしば政治的アピールや非暴力直接行動などが含まれる。歴史的にも労働運動やマハトマ・ガンディーの非暴力不服従運動をイギリス政府はテロリズムと位置づけた」
 「テロリズムは暴力が関わる複雑な現象である。テロリズムの中核的な概念は『社会への何らかの訴えかけが意図された、物理的被害よりも心理的衝撃を重視する暴力行為』であると捉えることができる」
 私はこれまで「テロ」という言葉を「民間人を対象にした政治的な目的による暴力」と自分なりに定義してきた。それはウィキペディアの説明を借りれば、「直接の攻撃対象以外である大衆を操作・支配する目的で無差別に、あるいは象徴的な人物を攻撃する手段」ということになる。ここで重要だと私が考えたのは、「直接の攻撃対象以外である大衆」つまり「民間人」を「無差別に」攻撃する手段であることだ。先の「ボコ・ハラム」が対象としたのは「女子学生」であり、「パキスタン・タリバン運動」が狙ったのは「生徒たち」である。さらにフランスの事件も、主に狙われたのは「編集者やイラストライター」たちだった(警護していた警官も巻き添えになったが)から、これらは典型的なテロである。
 パレスチナ人がイスラエル国内で一般市民が利用するバスの中で自爆攻撃をする場合もこの部類に入り、テロである。
 では対象が「大衆」ではなく、「武装した占領軍兵士」だったらどうだろう。例えば占領地で、占領に抵抗して住民が武力で占領者である兵士を攻撃するときだ。人民の自決権としての“抵抗権”は世界人権宣言や国際人権規約第1条で人民の固有の人権として確立され、国際的にも認められている。つまり、それは「テロ」ではなく、自決権回復のための“武装闘争”ということになる。
 しかしイスラエル政府は、パレスチナの占領地で起こる武装闘争を「テロ」と呼ぶ。これはまさにウィキペディアが言う「『テロリズム』という言葉の持つ、強い反道徳性・反倫理性を活用するかたちで、『自らとは異なる立場に立つ者のアピールや実力行使』に対して、『それはテロリズムである』というレッテル(ラベル)を貼るという方法で、非難を行うという方法論・戦術がある(プロパガンダ)」である。
 昨夏のイスラエル軍によるガザ攻撃はどうか。イスラエル側は「テロリスト組織『ハマス』らによるロケット弾攻撃を抑止するため」という大義名分を掲げたが、51日間の空爆や砲撃、銃撃で2150人のパレスチナ人(民間人犠牲者は、国際連合人道問題調整事務所(OCHA)によると1460人)が殺害され、1万人以上が負傷した。ブッシュ元大統領が定義する「暴力行為、又は人命、財産若しくは施設にとって危険な行為を含」み、「民間人を脅迫し、又は威圧すること」「大量破壊、暗殺、誘拐又は人質行為を行うことにより政府の行動に影響を与えること」を意図したものであるから、間違いなく“テロ”である。しかも主体がイスラエルという国家であるから、“国家テロ”である。しかし国際社会やメディアは「戦争」という言葉でこの大惨事の実態と本質をカモフラージュする。その“国家テロ”を主導した指導者が、テロに抗議するパリの大行進で各国首脳と腕を組んで先頭を練り歩くのである。
 国家の欺瞞はイスラエルに限らない。 2003年に「イラク戦争」を始めたアメリカもそうだ。「大量破壊兵器の保有」という事実無根の口実と「イラク・中東に民主主義をもたらすため」という大義名分を掲げて攻撃を仕掛け、何万というイラク人大衆を殺傷した。フセイン政権崩壊後は占領によってまた多くの民間人の犠牲者を出した。その後のイラクの混乱を招いたのもアメリカのこの「戦争」と「占領」だった。このアメリカのイラク介入も当事者であるブッシュ元大統領自身が定義したように「暴力行為、又は人命、財産若しくは施設にとって危険な行為を含」み、「民間人を脅迫し、又は威圧すること」を意図したものであるから、「戦争」というより“国家テロ”ということになる。
 シリア情勢でも、欧米諸国など国際社会はアサド独裁政権が民主化を求める国民の声を武力で圧殺した状況に沈黙し、看過した。その結果、シリア国内で政権側と反政権側の内戦に発展していった。その混乱の中で「イスラム国」が生まれ、シリアやイラクを脅かすまでに勢力を拡大すると、「テロ勢力の拡大を防ぐ」という名目で空爆を始めた。それによってまた多くの民間人が巻き添えになっている。「反テロ」を掲げて戦後最大級の大衆デモを行ったフランス自身もこの空爆に加わり、この事件直後、オランド大統領は、「テロとの戦争」の名の下に空母をペルシャ湾に派遣し、空爆をさらに強化すると宣言した。これが“国家テロ”かどうか、前述した国際法やブッシュの大統領命令の中の「テロ」の定義、さらにウィキペディアの「周知されることで恐怖心を呼び起こすもの」「直接の攻撃対象以外である大衆を操作・支配する目的で無差別に、あるいは象徴的な人物を攻撃する手段」「テロリズムの中核的な概念は『社会への何らかの訴えかけが意図された、物理的被害よりも心理的衝撃を重視する暴力行為』」というテロの定義から鑑みて、読者自身が判断してほしい。
 フランスが世界に向けて訴えた「表現の自由」も、早くも矛盾が露呈し始めている。反イスラム的な風刺画は「表現の自由」だとするとこの国が、「おれはシャルリー・クリバリのような気分だ」(「シャルリー」は攻撃された新聞社名で、「クリバリ」はユダヤ系食材スーパーを襲撃した犯人の名)とフェスブックに書き込んだ風刺芸人を「テロ礼賛」容疑で拘束した。その芸人は「俺はシャルリーのように、みんなを笑わせようとしているだけだ」と主張し、弁護士も「フランスは表現の自由の国ではなかったのか」と訴えている。
 欧米は、世界の政治、経済、文化、そして価値観を支配する国際社会の“強者”である。それらの国々の為政者たちの言動を注視していると、彼らが金科玉条のように掲げる「民主主義」「表現の自由」「反テロ」にはそれほど普遍性はなく、彼ら“強者”の都合に合わせて、 “二重基準”の物差しを臨機応変に使い分けられている現実に、非欧米の大衆は嫌が応でも気づかされるはずだ。“強者”たちが声高に「民主主義」「表現の自由」「反テロ」を叫ぶとき、その背後にある彼らの真の狙いがいったい何なのか見破る洞察力が私たちに求められているのかも知れない。

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