Webコラム

日々の雑感 328:
戦場とジャーナリスト、そしてメディア報道

2015年1月30日


(写真・TBSテレビ「ひるおび!」より)

 1月20日、後藤健二さんと湯川遥菜さんが「イスラム国」に拘束されている映像が流れて以来、連日、この問題が国内メディア報道を埋め尽くしている。湯川遥菜さんが殺害された後は、テレビも新聞も後藤健二さんの消息、人質交換の成り行きを繰り返し克明にトップニュースとして伝え続けている。
 「もう、どのメディアも、トルコやヨルダン、レバノンに逃れて、飢えと寒さに苦しんでいる何十万というシリア難民や、戦闘に巻き込まれ苦しむシリア市民のことは伝えなくなったね」。
 テレビを見ていたある友人がぽつんと言った。皮肉なことだが、自分の人質問題で日本の報道が埋めつくされることによって、後藤さん自身が命をかけて伝えたかった、あの難民たちやイラク市民のことを伝える機会が奪われてしまったのだ。

 私は彼の言葉に、同じような過去の日本メディアの空気を思い起こした。2004年4月、高遠菜穂子さんら3人の日本人がイラクで拘束された時、2007年9月、ジャーナリスト、長井健司さんがビルマ(ミャンマー)で民衆デモを取材中に兵士に射殺された時、そして最近では、2012年8月、シリアの取材中のジャーナリスト、山本美香さんが殺害された時だ。
 当時も日本のメディアは連日トップニュースとして拘束された、または殺害された日本人が事件に遭遇した状況、消息、経歴などを、「専門家」のコメントを交え詳細に伝えた、いや報道がそれ一色になったと言っていい。
 もちろん、私も日本人の1人として、拘束された日本人の消息が気懸かりだったし、同業者たちの死に「もし自分だったら」と戦慄し、深い悲しみと痛みを覚えた。
 一方で、それらの報道にずっと違和感も感じ続けていた。たしかに「人の命」は重い。ましてや同国人なら、なおさらそう感じる。しかし、事件のまさにその時にも、イラクやビルマやシリアの戦場で、何百、何千という住民が殺傷され、死や暴力の恐怖に怯えて苦しんでいる時に、日本のメディアが日本人の消息や死についての報道一色になっていいのかという疑問を私は抱かずにはいられなかった。私は長井健司さんが殺害された直後、その報道のあり方についての疑問をコラム「日々の雑感」2007年10月16日「長井健司さんの死について思うこと」)にこう書いた。

 生前それほど名が知られていたわけではない一フリーカメラマンの葬儀に1000人を超える人が集まり、それがまたテレビでトップニュースとなる。その一方、大衆デモが暴力で鎮圧されて一見「沈静化」したように見えたビルマの情勢に関するニュースは激減した。いつしか“ビルマ報道”は“長井さん射殺の真相究明報道”にすり替わっていったように私には見えた。当のビルマ国内では、「鎮圧」されたまさにその時こそ、民主化を求めて立ち上がった多くの僧侶や民衆への弾圧が最も激しくなり、そのことこそ世界が注視しなければならない時期だったにも関わらず、である。
 確かにジャーナリストが至近距離から射殺される事件は異常で衝撃的であり、それがビルマ独裁政権の正体を凝縮するような出来事ではある。しかし、あの当時、軍のデモ弾圧で、何十人ものビルマ人が犠牲になっているのである。なのに「日本人ジャーナリストの射殺」だけが特化され、そのことがこれでもか、これでもかと言わんばかりにテレビ報道のトップニュースで伝えられることが、私には不可解でならなかった。まるで“日本人の命”は“ビルマ人の命”よりも、何千倍も重いかのような伝え方に、私は苛立たしさに似た感情さえ覚えた(テレビ局側は「視聴者は日本人のことにこそ関心があり、それに応えていくのがメディアの責務だ」と言うだろう。言い換えれば「視聴率が取れるから」ということだろう)。
 私は3年半前のイラク報道を思い出す。2004年4月、日本のメディアはイラクでの4人の日本人人質事件で大騒ぎとなった。連日、4人の安否を知るどんな小さな手がかりでも大ニュースとなった。家族や関係者たちにも報道陣が押し寄せる。「4人を救え」の大合唱が起こる一方、それに比例するように4人の「自己責任論」がまたメディアを賑わす。当時のイラク報道は、「日本人人質事件」報道にすり替わった。
 しかしちょうど同じ時期、イラクのファルージャでは米軍の猛攻撃で750人を超える住民(武装勢力だけでなく一般市民も多く含まれていた)が殺害され、3000人近い負傷者を出していた。しかしこの大事件も、「人質事件」の陰に隠れて、あまり日本人に注目されることはなかったように記憶している。やはり日本人にとって“日本人の命”は“イラク人の命”より何倍も重いのだ、とあの時も痛感した。当時、湾岸諸国に滞在中のある日本人の中東専門家は「ファルージャでの惨劇に目を向けることもなく、4人の日本人の命を救えとだけ訴えても、現地では通用しない」という趣旨のメッセージを寄せた。

 私は今回の人質事件に関する報道にも、同じ疑問を抱いてしまうのである。
 世界各地で起こっているさまざまな惨事(人間の殺傷、飢えなど)を伝えるのに、“日本人がらみ”でないとメディアが詳細に伝えない、また国民がその“痛み”を想像できないとすれば、問われているのは、日本人の“国際感覚”なのかもしれない。私は“国際人”とは外国語とりわけ欧米の言語や文化に精通するだけの人だと思わない。文化も言語も、生活スタイルも、思想信条も違う遠い国の人たち(欧米だけではない)のことを、“自分と同じ人間”だと感じとる“感性”と“想像力”を持ちえる人のことを指すのだと私は思っている。もちろん人は自分の生活、その周辺、せいぜい自国の問題で精一杯で、遠い国の人たちのことを想像する余裕も機会もないだろう。だからこそ、後藤健二さんのようなジャーナリストたちが現場へ行き、そこで生き苦しんでいる現地の人たちのことを報道するのだ。そこでジャーナリストたちが伝えようとするのは、「ほら、あなたと同じ人間がこういう状況に置かれているんですよ」ということであり、現地からの報告によって、日本人に、“同じ人間”としての感性、想像力を呼び起すための素材を差し出しているのである。つまりジャーナリストが伝えようとしているのは「事件」そのものに留まらず、“そこで生きる人間たち”なのである。

 今のメディア報道で、後藤健二さんに関して「かわそうな戦場の子どもや女性たちのことを伝える心優しいジャーナリスト」像が強調され過ぎることにも、私は正直、違和感を覚える。もちろんそれを強調することで、「イスラム国」に「こんな素晴らしい人を殺さないで」というアピールする意味あいはあるだろう。しかしそれは「イスラム国」に対してであって、日本人に向かってこれほど強調されるべきことなのだろうか。戦場へ取材に向かうジャーナリストなら、それは当たり前のことであり、何も後藤さんが特別なのではない。彼はたまたま「報道ステーション」などメジャーな報道番組を通して伝える機会に恵まれ、彼の報告が多くの国民の眼に触れることができたから目立つのだろう。紛争地を取材する私の周囲のジャーナリストの多くは「あの人たちが殺されている。伝えなければ」と金勘定抜きに現場へ飛び込んでいく。パレスチナ・ガザへ通い続ける古居みずえさんなどはその象徴的な例だ(「日々の雑感」(2014年7月26日「“パレスチナ”と関わるジャーナリストとして」参照)。

 「戦場で苦しんでいる人たちを伝える心優しいジャーナリスト」というふうに、ジャーナリストとその仕事をあまりにも「美化」し「英雄化」「聖人化」することは危険でもある。その後にはその報道の反動として、そのジャーナリストの仕事だけでなくプライバシーにまで土足で踏み入り、人格まで誹謗中傷する報道が必ず出てくる。実際、後藤健二さんについても、すでに一部の週刊誌に出てきている。そのうちテレビのワイドショーでも始まるだろう。「持ち上げては部数や視聴率を上げ、その直後に貶め誹謗することでまた部数、視聴率のアップを狙う」メディアのいつもの常套手段だ。
 しかしジャーナリストは「英雄」「聖人」ではない。ジャーナリスト自身も胸に手を当てて、振り返ってみれば思い当たるはずだ。
 私は先のコラム「長井健司さんの死について思うこと」の中で私はこう書いている。

 私は決して「自分が犠牲になることも覚悟で、過酷な戦場・紛争地で起こっていることを伝えなければというジャーナリストとしての使命感」だけで動いていたわけでなかったことを正直に告白せざるをえない。「だれも行かない危険な現場」に入ろうとするとき、私には「歴史的事件をその現場で目撃したい」という野次馬根性、「スクープ映像が取れる」「テレビで放映できる」という功名心、自己顕示欲、そして金に繋がる物欲もあったことは否定しようもない。もちろん、こんな私でも「これを伝えずにはおくものか」というジャーナリストとしての使命感も確かにあった。しかしそれだけで動いていたわけではないのは確かだ。
 私はパレスチナで惨劇の跡を取材するとき、被害者の住民からこんな言葉を投げつけられたことがある。「お前たちは、私たちの悲劇を撮影してテレビ局や雑誌に売って金もうけをする。お前のようなジャーナリストがこれまでもたくさん来て、たくさん撮影していったが、それで私たちの生活がよくなかったか。何も変わらないではないか。お前たちは私たちの悲劇を食い物にする“禿鷹”じゃないか」。私はそんな非難を「いや、違う」とは否定できなかった。確かに私には“禿鷹”の部分もあるからだ。「しかし」と私は思った。「それだけではない。『これを俺が伝えなかったら、誰が伝えるんだ。これを外に伝えずにおくものか』と撮影しながら、涙が止まらない自分も確かにいる」と。
 自分がそれほどきれいな人間でないことは50年以上も生きていると、嫌というほど思い当たる。しかし「純粋」な部分も確かにある。それがジャーナリストとしての仕事の中で、少しでも多く生きてくれればと願っている。
 私は“ジャーナリストとしての使命感”だけでこの仕事をやっていない自分でも、この仕事を続けていいと思っている。たとえ動機が100%「純粋」ではなくても、例え名誉欲、自己顕示欲または“自分が生きている意味”を確認するために現場へ向かったとしても、撮った写真や映像は、その本人の意図を超えた情報を伝えるし、それが人を動かし、社会を動かす可能性だってあるのだから。要は、結果として「何を伝えたか」がより重要だと私は考えている。だからジャーナリストを美化したり、その仕事を特別に“神聖化”するのは危険だと私は思っている。「たかがジャーナリスト。されどジャーナリスト」である。

 後藤健二さんは私と同じではないにしろ、似たような矛盾、葛藤を少なからず抱えていたに違いないと想像する。だから彼をジャーナリストとして「英雄化」「聖人化」することに一番戸惑うのは後藤さん自身ではないだろうか。
 「ジャーナリスト」は1つの職業に過ぎず、私たちはそれを“生業”としている。もっと冷めた言葉を使えばビジネスと言っていい。そういう意味で、漁師や消防士と変わることがないはずだ。それなのに、漁師が漁の最中に遭難死したり、消防士が消化活動中に事故死しても(いずれも殉職)、ジャーナリストの事故や死ほど騒がれない。なぜなのか。戦場や紛争地帯を取材するジャーナリストたちを「英雄化」「聖人化」する空気が日本社会にあるからだろうと私は思う。「私たちが恐くてできないことを、命を賭けてやっている勇敢な人たち」というふうに。そしてその「英雄」「聖人」像から逸脱する事実が出てくると、今度は「期待を裏切った」と袋叩きにするのだ。

 一方、ジャーナリストである私たちの側にも反省しなければならない点がある。それはジャーナリストが事故(人質もその一種)に巻き込まれたり殺害されたりした時、他のジャーナリストたちが、彼らが冒した過失・失敗にきちんと向き合ってこなかったことである。長井さんの事件の時も私はそれを痛感した。先のコラムにそのことを私はこう書いた。

 同業者として、やるべきことは「賞賛する」ことではなく、その犠牲の原因は何だったのか、どうしても避けられない死だったのか、もし避けられたとすれば、何が問題だったのかを冷静に検証することだと思う。長井さんの場合なら、事前に、現在のビルマ情勢の中で、私服警官などの監視の目はどれほどのものか、当局の監視下でのカメラ撮影にはどういう注意が必要なのか、現地の住民からもっと情報を得る努力をすべきではなかったか、彼は「危険だからここでの撮影は止めるように」と制止するコーディネーターに「大丈夫だ。自分は危険なアフガニスタンやイラク、パレスチナでも取材したんだから」と反応している言葉が、最後のテープに残されていた。その状況判断は正しかったのか、現場での服装はあれでよかったのか、撮影の“立ち位置”はあれでよかったのか、など、同じ状況に直面するかもしれない私たち同業者は、冷酷で惨(むご)いようだけれども、きちんと検証し、それを今後の教訓として生かしていかなければいけないのではないか。それこそ、ジャーナリストとして長井さんを“追悼”することではないだろうか。彼の“死”を生かし、その屍を乗り越えて、現場で取材し続けていくことこそが、私たち同業者の“責務”ではないかと私は思うのである。

 3年前、ジャーナリストの山本美香さんが殺害された直後、日本のメディアが一斉に、彼女のことを「戦場で弱い子どもや女性の現状を、命を賭けて伝えた英雄」として報じる中で、この騒ぎが一段落したら、同じような現場を取材するジャーナリストたちの中から「なぜ彼女が殺害されてしまったのか。どこに問題があったのか、きちんと検証しよう」という声が起こることを私は期待した。たしかに彼女の事故の原因の大半は「不運」としかいいようのないものだったかもしれない。しかしいくらかは彼女たちの判断ミスがあったはずだ。それをみんなで検証して今後に生かしていかなければと考えたジャーナリストは少なからずいたはずだ。しかし私の知る限り、その声は起こらなかった。私も疑問を持ちながら、それを呼びかける勇気がなかった。一方では少なからぬジャーナリストや評論家たちが、彼女の「英雄化」「聖人化」に加わった。彼女たちの失敗を検証することは「死者にムチを打つ」ことになり、遺族の衝撃や悲しみを想うと慎むべきことだ、彼女の仕事は立派で、そのことを伝えることが彼女の無念さを晴らすことであり、遺族の悲しみを和らげることだという思いから、タブー視したからだろう。

 しかし、一般の国民の空気がどうであれ、少なくとも私たちジャーナリストは、同業者の失敗にきちんと冷静に向き合い、検証し、同じ失敗をしないように“学習”し、後続のジャーナリストたちがその“教訓”を生かし、その屍を乗り越えて彼ら・彼女らの“志”を継承していかなければならないのではないか。そのことこそが、無念な思いで亡くなっていった彼ら・彼女たちへのジャーナリストとしてのほんとうの“弔い”ではないだろうか。


(写真:同上)

 後藤健二さんは生きて帰らなければならない。彼の素晴らしい仕事に感動し、啓蒙され、感化され、これからもいい仕事を続けて欲しいと願う多くの日本人たちのために、また、彼の仕事をお手本・目標としている若いジャーナリストたちのために、そして何よりも愛する家族のために。
 無事帰還した後藤さんを、多くの日本人は「勇敢で使命感に燃えた素晴らしいジャーナリスト」として温かく迎えるだろう。しかし一部には「自己責任だ」「国や国民に迷惑をかけた」と誹謗中傷する者も出てくるかもしれない。

 ただ私は彼にこう言いたい。
 「お疲れさま。しばらくゆっくり休んでください。そして平静さを取り戻したら、私たち同業者に、あなたがどこで失敗したのか。どこで判断ミスをしたのか。私たちジャーナリストはあのような現場で何をすべきか、何をすべきでないかを語り教えてください」と。

【参考記事】
日々の雑感 2007年10月16日(火)長井健司さんの死について思うこと

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp