Webコラム

日々の雑感 368:
映画『アミラ・ハス』が出来るまで(1)

2018年10月27日(土)13:30~18:00
東京大学(本郷)
最新ドキュメンタリー映画『アミラ・ハス ―イスラエル人記者が語る“占領”―』上映

2018年10月10日(水)

目標のジャーナリスト

 去年の今頃、日本に招聘したイスラエル人記者アミラ・ハスの世話で、1ヵ月以上も忙殺されていた時期だった。自身に関わること以外のために貴重な時間を削られることを人一倍嫌う私が、なぜ外国人ジャーナリストのためにそれほど長期間、没頭できたのか。それはアミラ・ハスの招聘が何よりも“私自身のため”だったからだ。

 私はパレスチナの占領地取材を自分のライフワークの一つとして30年以上も関わってきた。そんな私にとってアミラ・ハスは、“目標のジャーナリスト”だった。
 イスラエル人でありながら25年以上も占領地で独り暮らし、地を這うように占領地の隅々まで出かけて行き、習得したアラビア語を駆使して民衆から丹念に証言を拾い集める。そうやって書かれた彼女の深い記事はイスラエル人読者のみならず、その英訳記事を読める世界の読者を唸らせる。同じ現場を取材したことのあるジャーナリストならなおさら、その記事の凄さをより一層痛感するはずだ。2002年の「ジェニン侵攻」でイスラエル軍によって難民キャンプの住民が多数殺害された同じ現場に入って取材していた私は、その直後に『ハアレツ』紙の一面全部を使って掲載されたアミラの「ジェニン・ルポ」に圧倒された。「どう取材すれば、こんな記事が書けるのか!」と。

アミラ・ハスの強み

 アミラ・ハスの強みは主に三つある。
 まず一つは、“占領”という一つのテーマを20数年間という、誰も真似のできない長期間にわたって、しかも取材現場の占領地にずっと留まり民衆の中から発信していること。
二つめは、一国民としてイスラエル内部事情にも精通し、占領地報道に不可欠な「占領する側」と「占領される側」の両方の視点から“占領”を取材できること。
 そして三つめは、両親がホロコーストの生存者であり共産主義者であったことに由来する、“抑圧される弱者からの視点”を幼少期から無意識に身につけていることだ。さらにもう一つ付け加えるなら、 抜けん出た“筆力”“表現力”だ。これは持って生まれた“才能”だろう。

 アミラは自身のことについて語ったり、取材されることを極端に嫌がる。「私はジャーナリストであり“取材する人間”なのに、なぜ“取材され”なければいけないのか」というのだ。またアミラを取材しようとする者には「『ハアレツ』紙に記事を書くことが本業で、『語ること』は自分の仕事ではない。私について知りたければ、私の記事を読んでほしい」と突き放す。

 それでも私はこの「目標のジャーナリスト」から、“占領地取材”について、また“ジャーナリストの在り方”について、どうしてもアミラ・ハスから学び、“盗みたい”と思った。現地でアミラの取材に同行しても――それさえ彼女は嫌い、大方、拒否されるのだが――取材に追われるアミラから話を聞くことは簡単ではない。
 ならば、アミラを日本に招聘して、講演や記者会見というかたちで、存分に語らせればいいと考えた。
 しかも去年2017年は、パレスチナのヨルダン川西岸、ガザ地区、東エルサレムなどがイスラエルに占領されてから、ちょうど50年目に当たる。この「占領地報道の第一人者」を日本に招聘できれば、シリア、イラク情勢の陰に隠れて忘れ去られがちな“パレスチナ”を、日本社会に再び喚起する絶好の機会にもなるはずだ。

アミラ・ハスとの出会い

 実は、私とアミラ・ハスの出会いは、20数年前の1993年秋までさかのぼる。いわゆる「オスロ合意」の調印の直後、ガザでのことである。
 このオスロ合意がほんとうにパレスチナとイスラエルの真の“和平”につながるのかを見極めるために、私はガザ地区最大の難民キャンプで、最も占領への抵抗運動が激しかった「ジャバリア」のある家族の元で“住み込み取材”を開始した。それは十数年後に、ドキュメンタリー映画『届かぬ声・第一部「ガザ」』として結実する。
 ちょうどその頃、アミラ・ハスも『ハアレツ』紙の占領地特派員として、ガザで暮らし始めていた。当時はアラビア語もできず、ガザの事情にも不慣れだったアミラは、通訳兼コーディネーターとして元政治犯のパレスチナ人青年を雇った。その青年が、偶然、私が住み込んだジャバリア難民キャンプの家族の長男だったのだ。やがて私たちは、共通の友人だった人権弁護士でラジ・スラーニ(現在「PCHR パレスチナ人権センター」代表)の事務所などで顔を合わせるようになった。そうやって、私たちは知り合うことになったのである。

日本招聘のきっかけ

 そのアミラ・ハスを日本に招聘する話が具体化したのは偶然だった。
 2016年秋、ヨルダン渓谷の町アルジャで取材していたとき、私は偶然、同じ現場を取材に来たアミラと再会した。数年ぶりだった。
 この頃、占領50年の2017年が2、3カ月後に迫り、私は「占領50年の記念イベントとして現地から人を日本に呼びたい」と考えていた。そしてアミラの顔を観たとたん、「この人だ!」と思った。
 私はその取材現場で彼女に打診してみた。現役のジャーナリストとして取材現場を駆け回るだけでなく、今や世界にその名が知られ各国を講演して回る著名なジャーナリストとなったアミラは多忙過ぎて、遠い日本まで来る余裕などないだろうなと思いながら、「駄目で元々」と切り出した。
 「来年の占領50年のイベントのために、日本に来ることはできる?」と訊くと、アミラは意外にも「いいわよ」と軽く答えた。「1ヵ月近い滞在になるかもしれないけど、それでも来れる?」と聞き返しても、「今は毎日記事を書く特派員ではないから、調整できると思う。大丈夫よ」と言うのだ。
 しかし後に沖縄での記者会見で、その時のことをアミラは「あの時は、どうせ土井の『外交辞令』だろうと思って、軽くそう答えたんです」と告白した。しかしやがて、アミラは私が本気であることを知って慌てることになる。(続く)

2018年10月27日(土)13:30~18:00
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最新ドキュメンタリー映画『アミラ・ハス ―イスラエル人記者が語る“占領”―』上映

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