映画『沈黙を破る』レポート
土井敏邦 パレスチナ記録の会

映画『沈黙を破る』ゲスト・トーク第4回
柳澤秀夫(NHK解説員、元「ニュース・ウオッチ9」メインキャスター)

2009年5月10日(日) @ポレポレ東中野

昨日の古居みずえさんに続いて、「人に伝えること」と真摯に向き合い、取り組んでいるジャーナリストをお迎えしてのトークです。

柳澤秀夫(やなぎさわ ひでおさん)は、土井敏邦の尊敬するジャーナリストの一人で中東専門の記者でもあります。現在はNHK解説員。2006年から2007年10月までは『ニュース・ウオッチ9』のメインキャスターでした。大病をされ一年余りに渡っての闘病生活。現在は復帰されています。

柳澤さんがメイン・キャスターを降板される日の放送は、とてもさびしかったです。日本のニュース番組では、数少ないハンサム(土井敏邦は柳澤さんを「NHKの貴公子」と呼んでいます)なメイン・キャスターであり、コメントも原稿を読むのでなく、自分の考えをはっきり伝えていましたから、テレビ・ニュース界では秀逸な人材です。また、是非、ニュース番組に復帰して欲しいです。

土井敏邦とのつながりは、1994年5月、ガザ地区からイスラエル軍が撤退して、代わりにパレスチナ警察がガザに入る歴史的な瞬間をラファで共に待った間柄。また、2002年にはETV特集で、ジェニン侵攻などの番組をいっしょに制作したそうです。最近では、2009年5月10日ETV特集『ガザ 悲劇はなぜ繰り返されるのか』の司会として采配を揮われました。

土井:僕は、『沈黙を破る』の試写会の間、中東のプロフェッショナルの目が一番怖かったんです。お世辞はいりませんから、まず、ストレートに『沈黙を破る』の感想を言ってください。

柳澤:ストレートに言うと、ずっしり重いものが腹に落ちた、感じです。

土井さんも気にしていたことですが、前半部が長く、どこまで観ている人がついてこられるかという不安。しかし、この前半部があるからこそ、後半部がずっしりと腹に響いてくるんだと思いました。テレビとは違う劇場の空間で、目・耳・皮膚など感覚で伝わってくるものがある。土井さんのこれまでのパレスチナ取材の集大成といえる作品ですね。

土井:今回、映画にする時に、パレスチナ・イスラエル問題がわからなくても伝わるよう、「人間を描くこと」にこだわってきました。そうすれば、パレスチナ・イスラエル問題を超えて広がる映画になるのではないかと思いながら作りました。

柳澤:自分がしているテレビの仕事と土井さんが映画で描こうとすることを重ねて考えたことを言います。

メディアで仕事をしている者たちは、「事件」として伝えます。起きている現実を数字に置き換える。「何月何日、何人死んだ・けがをした・何軒の家が壊された」とね。これは、本当の意味で起きている現実を伝えることにはなっていないんです。

私たちは、そこにどうやって目を向けていくのか。現場では、一人ひとり、個人が生きている。あるいは死んでいく。そこで傷ついているわけで、一人ひとりの生き様を徹底的に描くことがなければ伝えられないものがあると思います。土井さんは、メディアができないことにこだわり続けた。人間を描くことの重要さを、もう一ぺん、教えられました。

土井:僕は、『沈黙を破る』をパレスチナ支援の人だけに評価され伝わっていくものでなくて、この問題に全く関心を寄せていない人たち、また、親イスラエルの人びとにも、何かを感じてもらえるように工夫をしてきたつもりなんです。

もちろん、僕の立場はパレスチナ側です。それは原則です。パレスチナ・イスラエルの問題において、僕には「中立」はありえないと思うから。だからと言って、パレスチナ側を「かわいそうな存在」として伝え、イスラエルを「悪」としてだけ描けば、却ってこの問題の理解にマイナスになるのではないかと感じる時があるんです。その点は、いかがですか?

柳澤:我々は、どうしても言葉として「中立」を使いますが、これは難しいし、現実ではそうはならないものですね。私の個人的な心情で言えば、中立はありえない。プロ・パレスチナですね。ただ、自分自身は、この問題を扱う時にイスラエルを糾弾するだけの立場では物事は解決しないと感じています。解決の糸口は見えてこないだろうと。イスラエル側の視点を織り込んだ『沈黙を破る』は成功だったと思います。この映画は、パレスチナ・イスラエルの構図の中で描かれていますが、この問題は突き詰めて考えると、有形・無形の「暴力」に向かい合わざるを得ない人々の生き様といった普遍化できるテーマを含んでいるものだと感じます。

「占領」とは、人の足を踏みつけている状態です。イスラエルの人々の多くは、自分が人の足を踏みつけていることに気づいていない。もう一方の踏みつけられていない足が踏まれた時に、(被害者として)大きくアピールをする。もう一方の足が何をしているかに気がつかないでいる。こういうことは、歴史を遡り、また、今、世界を見回しても共通する普遍的なテーマです。

我々は、地域に行き、取材をする。その時に、もう一つ、違った視点から物事を広げていくことを考えなければ、自分達がやっていることの意味を理解できないのかもしれない。その理解にたどり着くまでには時間がかかるんです。『沈黙を破る』でできていることは、それだと思います。

土井:4部作『届かぬ声』では、問題の構造を描きたいと思ってきました。現象ではなく、占領の構造を描きたかった。どうしたら、それが描けると思いますか?

柳澤:なかなか、簡単には答えは見つからないでしょう。「構造的な暴力」という言葉を、土井さんはよく言いますね。今のガザを見ていると、これまで使っていた「占領」という言葉とは違う現実にたどり着くように思います。

「封鎖」という形で周辺をふさがれ、取り囲まれてしまっている。軍隊が中に駐留しようが外に居ようが、人びとの苦しみは同じです。この現実の「封鎖」という言葉の意味を、もっと状況に合ったものに普遍化していくこと。これが「構造を伝える」ということになるのではないでしょうか。

つまり、大きな枠組みで考えると、「封鎖こそ、占領なんだ」とわかる。パレスチナの問題は、「占領」に帰結するんだとわかる。1967年以降の占領を取り除くことは、イスラエル建国の歴史を考えれば難しいことだとわかってはいるけれど、そこに近づけていく。

「占領」をどう伝えるか。そこで、「構造」をどう伝えるか。簡単にはできないことですが、できるよう努力を続けたいですね。

柳澤さんは、30年位前、NHKに入られたときはインドシナ地域担当の記者だったそうです。最初の赴任先は、タイのバンコク。

柳澤:タイからカンボジアへ入っていきました。そこで見る現実。日本で生まれた自分には全然わからないものがありました。小さな川があって、両側の人びとはその川の水を分かち合って暮らしていた。そこを、政治、政治家というのが国と国で対峙し「国境」という緊張した地帯にする。住民へのしわ寄せがでてきます。本当は、仲よく暮らしていた人々に「国境線」というものが覆いかぶさる。一番、血を流し、死んでいく人びとは、決して政治家たちではない。国と国の争い、国内での内乱という現場には、そこには必ず弱者がいました。現実のはざまに置かれ、悶絶しながら生きていかねばならない人びと。お年寄り、女性、子どもたち……、自分の意思に関わらず翻弄され押し潰されていく人たち。彼らは声を出しているのに、その声はなかなか誰にも伝わらない。当時のインドシナ地域で見たこの現実が、今、担当している中東地域にもあります。

パレスチナは、私にとって「自分を映す鏡」です。現場で自分が目のあたりにするもの全てから「自分が何者で、自分がどうすればいいのか」を教えてもらっている気がします。自分の生き方は、果たしてこれでよいのか、自分の考え方はこれでよいのか、これまでの自分でよいのか、と。

この鏡は、絶えず自分を映し出し、映しかえるのです。

柳澤さんの言葉は静かだけれど、とても強い怒りと信念が込められていると感じました。自分ではどうすることもできないところに追いやられる人びとが生き抜く姿から、自身が何かをもらい、他者に伝える大切さを胸にジャーナリストとしての仕事をしている人がここにもいました。

体調が充分に回復され、益々のご活躍を期待しています。

(文責「土井敏邦 パレスチナ記録の会」Q)

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