映画『沈黙を破る』レポート
土井敏邦 パレスチナ記録の会

映画『沈黙を破る』ゲスト・トーク第7回
臼杵陽さん(日本女子大学文学部史学科教授)

2009年5月23日(土) @ポレポレ東中野

臼杵陽(うすき あきら)先生は、日本の誇る中東地域研究の重鎮。アラビア語・ヘブライ語の双方を操り、その研究は緻密で深く、いつも私たちに刺激的な視点を与えてくださる先生です。Q(筆者)は、周りの人から「中東とかパレスチナを知るいい本、ない?」と聞かれると『イスラムの近代を読みなおす』(毎日新聞社)という臼杵先生の本を薦めています。これは、2001年12月に発行されました。2001年といえば、ニューヨークで9・11の起こった年。臼杵先生は、凄まじい勢いでイスラムが誤解されていく雰囲気に危機感を抱き、緊急にこの本を出されました。Qも、この時期、本屋に立ち寄るのも、電車で週刊誌の中吊り広告を見るのも、どれもがとても辛かったです。どこでも、なんでも、[9・11がわかる!]と題してイスラム理解のキャンペーンを大々的にメディアがやっていましたから。

臼杵先生の『イスラムの近代を読み直す』「はじめに」からの引用:

……一般的な傾向として、「イスラムがわかれば今回の自爆テロ事件がわかる」といった具合の認識が広がっていないだろうか。このような説明は、イスラム=テロという図式が暗黙の了解としてなければ出てこない論理である。イスラムを歴史的な文脈から外して、イスラムとは本来攻撃的な宗教であるといったように決めつけで物を判断する本質主義に陥ってしまい、そのように語ることはただイスラムへの偏見を助長するだけであった。この点は本書でも特に強調したいことである。今回、事件に関する風評によって信頼を失墜させたという意味で、大変多くの犠牲を払ったのはイスラム自身であるかもしれない。イスラムとイスラム原理主義との違いは何なのか、ということは混乱を極めてあいまいとなった。イスラム原理主義がどのような問題を孕んでいるのか、人びとは知ろうとした。だが、イスラムは危険という漠然として根拠のないマイナス・イメージだけが残ってしまった。

この流れは、その後もずっと尾を引いています。結局、このマイナス・イメージは、今や日本の巷で「揺るがしがたい信念」の域に達しているのではないでしょうか。

世界から排除されてしまった人びとの声

もちろん、本書も悲惨なテロ事件の便乗本ではないかという批判が当然でてこよう。もし本書が誤解されてそのような性格の本として読まれるのであれば、私はその批判を甘んじて受ける覚悟はある。しかし、本書を読んでいただければ明らかになると思うが、自爆テロをイスラムの教義だけで説明してしまうことはあまりにも乱暴な論議なのである。イスラムだけでは解明できないことがあまりにも多い。テロという暴力の行使は、宗教だけでは説明しきれない。イスラムそのものにテロの原因を求めるのではなく、いまだ解決の目処の立っていないパレスチナ問題など、イスラム世界が直面している困難な状況を抜きにしてはテロリストたちの怒りを第三者として理解することはできないだろう。もちろん、テロリストに同情しようというものでは決してない。

……テロリストという見えない<敵>を前にして、ブッシュ大統領がテロとの戦争という大義によって囲い込んだ日本を含む欧米という<世界>から排除されてしまった人びとが存在していることに思い至らざるを得ないからである。そしてまた、その排除された部分をイスラムで表象させてしまうと重大な問題を捨象してしまうことになる。この<世界>から排除された人びとは決してイスラムでは言い尽くせない。本書では、声なき声を代表するパレスチナ人の直面している困難な問題状況に触れたのもイスラムでは覆いつくせない重要な問題としてパレスチナ問題の何たるかを改めて提起したかったからである。パレスチナ人のように<世界>から見捨てられることによって絶望してしまった人びとが存在しているという厳然たる事実に目を向けたいのである……

このように「はじめに」は続いていきます。臼杵先生のパレスチナへの思いが伝わってきます。本当は、こういう思いが全面にある先生なのです。でも、土井敏邦や古居みずえさんとETV特集や集会などに出ると、イスラエル側の意見を言う人がいないので臼杵先生がその役になってしまいます。結果、パレスチナ支援のいろいろな方面から批判を受け、辛い思いをされていることもあるのではないでしょうか。

今回の臼杵先生のトークは、『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』の第1部『ガザ─「和平合意」はなぜ崩壊したのか─』についてのお話です。実は、この第1部、パレスチナ・ファンには貴重な映像が多いんです。ずっと、パレスチナやガザ地区と付き合い続けている方々には、懐かしい映像がたくさんあります。臼杵先生のトークも、部分的にはパレスチナ上級者用です。

「占領の構造」を映像で描く難しさ

『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』4部作
第1部『ガザ─「和平合意」はなぜ崩壊したのか─』
1993年の「和平合意」が、パレスチナ住民の真の平和につながらなかった現実とその原因を、ガザ地区最大の難民キャンプ・ジャバリアに住むある家族の6年間の生活を通して描く。 →上映情報

土井:第1部『ガザ─「和平合意」はなぜ崩壊したのか─』についての印象はいかがですか。

臼杵:土井さんが第1部を作り始めた2年くらい前から見せてもらっているわけですが、ずいぶんと印象が変わりました。エル・アクラ家を叙事詩のように描いていくという基本的な枠組みは変わっていないのですが、自治政府になっても変わらない経済的な要因をかなり入れたなぁ、と感じます。そうしたことで、自治になっても何も変わらないことに怒るパレスチナの人々の実感がよく見えてきたと思います。そこが一番大きな所ですね。

最後に、この冬のガザ侵攻についてバッサムへのインタビューの声が入るのですが、むしろ、アブー・バッサムに意見を聞いて欲しかったです。語り部として大変重要な人ですね。彼が、どういう風にガザ侵攻を考えたのだろうと気になりました。絶望を超えて、ただニュースを見入っているだけかもしれない。何も語ろうとしなかったかもしれないけれど。

それにしても、この第1部の映画の中での彼の存在感。アブー・バッサムの存在そのものが、パレスチナ人の歴史そのものを証言する印象を受けます。おそらく、彼は、自分の世代を超えて自分達には希望があると語り続けるのでしょう。世代を超えて伝えられる記憶。語り継ぐことでパレスチナ人の歴史を維持し、尚且つ、作り上げていくという印象を受けました。

土井:4部作では、人を見せながら占領の構造を描きたかったんです。試みは、成功しているでしょうか?

臼杵:苦言を呈すれば、第1部だけではイスラエルの構造的暴力が少し見えにくいですね。映像だけで「諸悪の根源がイスラエルの占領だ」ということがどこまで伝わるのか。イスラエル軍の存在により日々の暮らしがどれだけ大変か、パレスチナ側からの商品を売ることができないなどの状況はわかります。イスラエル側の抑圧構造はなんとなく見えてくるんです。でも、直接的に見えては来ない。イスラエル側の意図をもう少しわかるように伝えたらよいと思いました。どう描くかは、よくわからないんですけど。全体として、受け手の人びとに構造が見えているだろうか、と感じました。

土井:直接的で一番わかりやすく、象徴的でもある「占領」の描き方は、イスラエル軍によって銃で撃たれ死んでいくパレスチナ人の姿なのだろうと思います。でも、そうじゃない、日々の暮らしの中にある「占領」を描きたかったんです。また、「イスラエルの意図」という点では、第2部『侵蝕 ─イスラエル化するパレスチナ─』の中で、オルメルトの論理を映像で見せていく試みをしています。

私自身、どうやったら占領の構造を見ている人々にわかってもらえるのだろうかと考えました。一本に何もかも詰め込みすぎて、理解を中途半端にしたくなかったんです。それで4部作にして、その一本一本に役割分担をさせました。第1部では、パレスチナの人々を知って欲しかった。パレスチナの人々がどんなものを食べ、家族はどんな関係を持っていて、……ということを知ってもらいたかった。

そうですね、第1部だけでは、占領の構造の描き方は弱いのかもしれない。

臼杵:もちろんですね、イスラエルのスーパーの精肉部門で働く様子やルーマニア人がイスラエルの工事現場に投入されパレスチナ人の職を奪っていく様子とか、断片的なことは見えます。全体的な占領構造を知っている人間には、これらのことが「イスラエルが意図的にパレスチナ人を排除していく流れ」であり、その意味はよく見えます。イスラエルにとって、パレスチナ人を自分達の安全保障のためにだけに使う。いつでも、イスラエル人の都合だけで動いているんですね。イスラエルそのものが持っている、建国以来変わらない性格です。そのことをどのようにして映像で映し出せているだろうかと、感じるわけです。

土井:なるほどね。

今のお話で思い出しましたが、今まで、イスラエルはガザを植民地政策として「生かさず殺さず」で支配してきたと思います。まさに、それを映像で描こうと思ったんですが。

パレスチナ人を低賃金労働者として搾取の対象とし、従属させる。加えて、イスラエルのマーケットとしてパレスチナ人に商品を買わせていく。しかし、それが、今、変わってきていると、この度のガザ侵攻を見て感じているそうですが、そのあたりを教えてください。

臼杵:第1部の中に、この度のガザ侵攻へ至る片鱗、部分的現象が見えてきていますね。それは「封鎖」です。テロが起こればイスラエルは封鎖を強めます。ガザ地区から人も物も何もかも、全く動けなくする。イスラエルのやってきたことのまとめが「封鎖の強化」です。これまで、占領の構造を変えない=植民地政策がイスラエルには一番いいとしていたんです。それが、今回のガザを見ていると、徹底的に破壊する、無き物にしようとしているのではないかという印象を受けたわけです。

パレスチナの大きな課題は、アラファトがガザに戻ってからです。イスラエルとアラファトの関係、後々シャロンになると変わりますが、それまでは、アラファトだけが和平のパートナーとして考えられる唯一の人でした。その枠組みの中で、日本もアラファト体制を支えてきたわけです。自治政府の腐敗ということが映画では強調されて描かれていましたが、その一方で、自治政府とイスラエルの関係はどうなっているの? と疑問に思われた方もいるのではないでしょうか。民衆の視点からだけだと、そのあたりの関係が見えてこないですね。

もう一点。ガザの外から還ってきたパレスチナ人とガザの現地にいた人の関係です。「警察」というのを介して描こうとされていましたが、もう少し違った人びとで描けると重層的にパレスチナ社会が抱え込んでいたものが見えたのではないかと思います。ガザに生まれてくる新たな状況で、帰還者とそれまで占領の中で生きてきた人びととのズレが現れてくる。どんどん軋轢が大きくなり、パレスチナ社会の崩壊という問題ともつながっていくのだと思います。

土井:全体を通して、イスラエルVSパレスチナだけで描くことは、わかりやすく受け容れやすいでしょう。僕は、オスロ合意の崩壊の原因は、単にイスラエルが悪いだけでなく、パレスチナ内部にあれだけの矛盾、腐敗が存在したことも理由として伝えたかった。でも、そこをあまりに強調しすぎではないかとの批判を受けるでしょうね。

今日、映画として第1部を見てみて、「占領の構造」を映像で描く限界を感じてもいます。語りや文章では存分に伝えることができます。オスロ合意の崩壊をものの見事に描いたのは、イスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスの『Drinking the Sea at Gaza(ガザの海水を飲みながら)』だと思います。あれを映像にしようと思ったんです。やはり、「文章」には敵わなかった!

臼杵:いやはや、あまり気にしないでください。そもそも、無いものねだりなんですから……、充分承知しています。

大手メディアが伝えないパレスチナを伝える

臼杵:それはそれとして、ラジ・スラーニー(注:パレスチナ人権センターを主催するガザ在住の世界的に著名な人権弁護士)やアブドゥル・シャーフィー(注:ハイデル・アブドゥル・シャーフィー。民衆から敬愛されたパレスチナを代表するガザ出身の政治指導者。1991年マドリッド中東和平会議のパレスチナ代表団団長。2007年没)を登場させているところからして、この映画のメッセージがどういうものか、少しでもパレスチナをわかる人なら彼らの発言を聞かなくてもわかります。当然の帰結として、自治政府、すなわちアラファト批判につながるんだなぁ、と。ただ、これもひとつのパレスチナ人の声である、ということですね。

この映画の中で、別の意味で感動しちゃったのは、ハニヤさん(注:現ハマスのリーダー)の若いころの映像があって、あそこでの発言はいいですね。あの映像は、歴史的なものになっていくでしょう。

土井:この第1部の映像は、エレツ(注:ガザとイスラエルの境界)の様子の移り変わりにしろ、(オスロ合意を受けての自治開始にともない)パレスチナ警察がラファから入ってくるところ、ジャバリアの解放の瞬間、ハニヤがアブドゥル・シャーフィーに質問しているところ、……ガザの歴史資料としての価値はあるかな、って思っています。

臼杵:ハニヤとシャーフィーとの対立の構図も興味深いです。国際的にも貴重です。ハマスのイメージの問題もあって大きなメディアでは取り上げないかもしれませんが、地道に撮り続けた土井さんのアーカイブスとして大切です。

土井:僕は、この第1部ではハマスをかなり単純化して描いています。封鎖によって貧困に追いこまれる→ハマスが貧困から救っていく→ハマスは支持される。単純すぎましたかね、どうでしょう?

臼杵:日本の人びとのイメージは「武装組織・ハマス」だけでしょうから、これは大切でしょう。ハマスにそういう側面があることは確かです。でも、実際の様子は誰も見たことが無い。特に教育ですね。私達がイメージしているハマスの人びとと、学校に実際に登場する人たちのギャップがいいです。アズハル大学の学生の話す流暢な英語。知的な印象で、イスラム・イスラムしていない。彼らは知的な水準の高い人たちであり、ハマスが生み出している若い人たちってのがどういう人たちか見えるのがよかったです。

土井:そのハマスが、今のガザで組織防衛に走っている。強権政治を強いている。映画の中でファタハを告発する若者と全く同じ様子で、今度はハマスを告発しなければならなくなっている。第1部に描いた自治政府と同じ道をハマスが辿っている。ガザの民衆が何を思っているかを伝え続けなければならないと感じます。

臼杵:ハマスが政権を獲得した折に、ギリギリのところで政権を獲得したことを、もっと私たちは知る必要があります。パレスチナの選挙も、選挙区と比例代表制の組み合わせで行われました。比例代表制ではファタハとハマスは、ほとんど差が無かったんです。選挙区で一人を選ぶ所で圧倒的にハマスが勝っていくのです。これは、ただ反ファタハの票から得られたもので純粋にハマス支持というわけではありませんでした。また、日本の自民党がやっているように選挙区を少しいじることで、ファタハは勝つこともできたんです。ファタハがなぜそれをしなかったかはよくわかりませんが。よって、ハマスが圧倒的な支持で政権を獲得したわけではないんです。パレスチナ社会はそれほど一枚岩ではありません。それをていねいに見ていかなければなりません。一気にファタハを抑える形でハマスが台頭したみたいな報道をされると、本当のパレスチナの人々の気持ちはよくわからないのではないかと思います。

土井:第1部の目的は、本当のパレスチナの人々の姿と思いを伝えることでした。当たり前なんだけど、自分と同じ人間なんだ、という印象をパレスチナに行ったことのない人にも持ってもらいたかったんです。豊かな人間像を見て欲しかった。巷によく流される武装的なパレスチナ人でないパレスチナ人を定点観測をした自分の映像で描きたかったんです。是非、第1部から第3部も、多くの方に見ていただきたいと願っています。

臼杵さん、今日は、本当にありがとうございました。

(文責「土井敏邦 パレスチナ記録の会」Q)

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