Webコラム

日々の雑感 261:
飯舘村・村を離れた酪農家たち(3)・志賀正次さん

2011年4月23日(月)

 昨年7月24日のコラム「離れ離れになる志賀さん一家」で紹介した酪農家・志賀正次(しが まさつぐ)さんに再会するため、南相馬市のアパートを訪ねたのも昨年9月以来だった。当時、志賀さんは、数種類の特殊車両免許を取得し、再就職の準備をしていた。それから7カ月後、彼はコンクリート・ミキサーの運転手として相馬市で働いている。昨年9月から3ヵ月間は常磐高速道路の建設の土木作業の仕事についていたが、昨年暮れに知人の紹介で現在の職場に移った。これまで酪農業の経営者だった自分が、雇われ、若い上司から使われる身となった。その落差に戸惑ったが、生活していくためには仕方がないと自分に言い聞かせている。これまで家族経営で自由にやれた仕事だったが、会社の雇われ人となって一番気を使うのは、職場での人間関係だと志賀さんは言う。年下の上司は「志賀さん」と呼ぶが、心の中では「仕事のできないおっさんだ」と思われてはいまいかと考えてしまい、気疲れする。牛の補償は東電から9割がたもらったが、毎月10万円出るはずの精神的苦痛の補償は、東電側との交渉が決裂し、まだ1円ももらっていない。
 志賀さん一家の一番大きな変化は、5カ月前、長女に長男が生まれ、まだ40代後半の志賀夫妻が「おじいちゃん、おばあちゃん」になったことだ。私が訪ねた4月初旬の日曜日、私を居間で迎えたのは、孫を抱いて目を細めている志賀さんだった。
 「酪農やっていた頃、仕事仲間が学校へ孫を迎えていくと言って、仕事を途中で投げ出して帰っていった。俺はあの時、『なんて馬鹿なことを』を思っていたが、今、あの人の気持ちがよくわかる。孫はほんとにかわいいなあ」と彼は笑った。

 現在、政府が計画している「避難指示区域の見直し」によれば、志賀さんの実家がある蕨平(わらびだいら)は、最も帰村が難しい「帰宅困難地区」ではなく、次のランクの「居住制限区域」に指定されそうだ。前者なら精神的苦痛の補償金、月10万円の5年分600万円が一括払いされることになる。家族4人ならば、2400万円だ。しかし後者は2年分240万円になる。4人分でも1千万円にも満たない。それでは、新たな土地に家を買う資金にもならない。
 現在、数十キロ離れた梁川(やながわ)市内のアパートで暮らす両親といっしょに暮らすために新しく家を建てる資金がないのなら、蕨平に戻るしかないだろうと志賀さんは考えている。
 「親父もあそこで生まれ育っているし、お袋も隣町から嫁いで50年近くあそこに住んだんだから、あそこが一番いいのかなって思うんです」

 「農地や住宅の汚染以上に“心”が汚染されたことが一番悲しい。心の汚染は絶対に消えないから」と志賀さんが語気を強めて言った。
 「馬鹿にされたということですよ、政府からも県からも村からも。SPEEDI(スピーディー)の放射能予測が公表されていれば、すぐに避難できたのに、すべて後手後手に回った。国や県や村の言うことは、もう信頼できないですよ」

 「騙されたと思う?」と訊くと、志賀さんは、さらに語気を強めた。
 「それはあります!あれで人生狂わされた」と。

(【編注】SPEEDI: スピーディー。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム。福島第1原発事故後、政府はSPEEDIによる放射能拡散の予測データを隠蔽し公表しなかった)

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