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日々の雑感 311:
『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を観て(3)

『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を観て(2)

2014年2月14日(金)

第4回「冷戦構造」


(写真:トルーマン大統領)

 この中でオリバー・スートン監督は、アメリカをはじめ西側諸国で「定説」となっていた「冷戦になったのは、ソ連の世界規模の侵略に対抗するためだった」という「見方」を、具体的な事件や資料を示し「誤解」だと言い切っている。そして「アメリカが敵の脅威を誇張し、2つの社会システムが衝突する世界を作り出した」とし、「冷戦」を作り出したのはソ連ではなく、アメリカなのだと主張するのである。
 もちろんスートン監督も、ソ連の指導部がポーランドやハンガリーなど、歯向かう者たちに抑圧的な体制を押し付けていたことは否定しない。しかしもっと重大な原因は、トルーマンが大統領就任以来、ルーズベルトとスターリンの合意を拒み、挑発的、かつ不必要な原爆投下を行い、軍事基地を世界中に拡大したこと、さらにチャーチルと連携し、ギリシャ右派への後押しし、ドイツの分断と再軍備、そしてより強力な核爆弾を作るための度重なる実験と、それを利用したソ連への揺さぶりだったと指摘するのだ。
 さらに「トルーマンは国内でも海外でも共産主義の脅威を意図的に誇張し、それに反論する人を迫害し、黙殺した西ヨーロッパを解放して以来、アメリカは自らに降りかかる恐怖を、攻撃というかたちで発散するようになった」とスートン監督は指摘している。
 さらに彼は、その後に起こる韓国、ベトナム、イラク、アフガニスタンで起きたことの起源がこのトルーマン時代にあるという。つまり「重大な脅威も、瑣末な脅威も区別することなく、世界中の人々の運命をアメリカの安全保障と結びつけてしまい」、「圧倒的な経済力と軍事力を持って、アメリカが自由と民主主義を標榜する“世界の警察官”を務める」という考え方とやり方がその後の60年間、アメリカの政策として今日まで踏襲されていったというのだ。その結果、「“警察官”となったアメリカが、自分の国の社会システムに敵対する者を見つけ出し、逮捕していく」「そのために秘密の活動が横行し、地域紛争が増え、ある種の支配体制が押し付けられていくことになった」と分析する。

 そのようなトルーマンらの動きに警鐘を鳴らしたのが、当時の商務長官ヘンリー・ウォレスだった。それはこのドキュメンタリーを制作したスートン監督自身の主張ともとれる。番組の中でウォレスがこう語っている。

 「私たちが強硬になれば、なるほどロシア人も強硬になります。我々の目的が大英帝国を救うことでも、アメリカ兵の命を引き換えに中東の石油を手に入れることでもないとソ連が理解すれば、協力も得ることもできるでしょう。友好的、平和的な競争の下で、ソ連とアメリカは似たものになっていくはずです。ソ連は個人の自由を認めるようになり、アメリカは経済的な不平等の問題にいっそう真剣に取り組むようになります」

 「共産主義を妥当する唯一の方法は、生産と流通を向上させることです。正々堂々と競争することが人類のために、なりより大切なことなのです。私たちの過ちの根源には恐怖があります。ロシア人はアングロサクソンによる包囲を恐れ、私たちは共産主義の浸透を恐れています。国家は生き延びることのみを考え、追い詰められた野獣のように行動していきました。たとえ我々が原爆の庇護の下にあっても、世界は帝国主義者を受け入れません。人びとの宿命は世界に役立つことであるし、支配することではありません」

 「すべての過ちの根本には恐怖がある」というこのウォレスの言葉は、日本の現状への警告のようにも聞こえる。中国や北朝鮮の「恐怖」が強調されるなか、憲法を無視した「集団的自衛権の行使」への急速な動き、加害歴史の否定と「愛国心」高揚の政策、「特定秘密保護法」による言論の統制など安倍政権の今日の動きが、「共産主義の恐怖」を強調することで「冷戦構造」を作り出し、国内では「赤狩り」に象徴されるリベラル勢力潰し、アジアや中南米、中東では軍事力による民主勢力潰しと独裁政権の擁立へと暴走したアメリカの動きとどこか重なって見えるのは、私だけだろうか。

第5回「アイゼンハワーと核兵器」


(写真:アイゼンハワー大統領)

 1950年代、そしてベトナム戦争以前、1960年代初頭までのアメリカについて、私はこれまでずっと、「アメリカがその豊かさと力を世界に誇示し、最も輝いていた時代」というイメージを抱いてきた。その時代の象徴がアイゼンハワー大統領だった。第二次大戦の英雄であり、あのスターリンからさえ「偉大な人物だ。軍隊での業績のみならず、親切で飾らないその人間性のためだ」と尊敬された人物、オリバー・ストーンの言葉を借りれば、「やさしい父親の顔をした新しい大統領」だった。
 しかしそのアイゼンハワーが、米ソの核兵器開発競争を激化させ「冷戦」を増幅させた張本人であること。また中東のイラン、中南米のグアテマラ、アジアのインドネシアなどで、「自分の国のあり方を変えたい」と願う指導者たちに「共産主義者」のレッテルを貼り、CIAを使って追い落とし、軍事独裁政権を擁立していった人物であること。さらに核兵器拡張競争を煽り、ベトナムなどアジア諸国、中南米、南米、そして中東でアメリカを軍事介入へと駆り立てた “軍産複合体”の創設に誰よりも「貢献」したのが、まさにこのアイゼンハワーだったことをオリバー・ストーンはこの章で、冷徹に暴き出してみせる。

 1930〜40年代のニューディール改革を推進役となってきたアメリカの左翼勢力が、マッカーシー上院議員やCIAフーバー長官らによる「赤狩り」旋風によって骨抜きにされたのも、このアイゼンハワー時代である。ソ連の攻撃という偽りの脅威をでっち上げ、国内に被害妄想を蔓延させて電話の盗聴、手紙の開封、盗聴器の設置、事務所への立ち入りを強行し、国民に密告を奨励して、アメリカ国内の労働組合や社会運動団体などを徹底的に弾圧していく。それによって「50年代には公民権運動や反核兵器の運動を除き、左派による運動や改革は沈黙を強いられ」「アメリカを深く傷つけた」とオリバー・ストーンは結論づけている。アイゼンハワーはこの「赤狩り」を公に非難することもしなかった。

 かつて広島への原爆投下に反対するなど核兵器を嫌悪していたアイゼンハワーだったが、大統領になった後、「共産化するくらいなら、核戦争の方がましだ」と漏らすほどに変貌していく。軍事費で国が破滅することを恐れたアイゼンハワーがとった政策が、軍の規模を縮小して核兵器に頼る「ニュールック」政策だった。一方で、原子力に付きまとうタブーをなくするために提唱したのが、「平和のための原子力計画」である。それが日本における「原子力の平和利用」の推進、原発建設を促していくことになる。つまり、あの「フクシマ」の元凶をたどっていくと、アイゼンハワーの核政策に行き着くことになるのである。

『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』
予告編(英語版)

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